五十嵐健祐 Igarashi Kensuke

五十嵐健祐(いがらしけんすけ)

1985年、群馬県高崎市生まれ。小学校の頃に出会った「アルバード・アインシュタイン」の伝記に衝撃を受け、何か従来の常識を覆す世界的インパクトを与えることを目指すことに決める。群馬県立高崎高等学校卒、高校時代は応援部にて鼓手隊長、羽織に袴、竹刀というバンカラな高校時代を送る。2005年、1年の浪人後、幼い頃からの夢であった物理学者を志すため東京大学理科一類後期合格するも、周囲の強い反対から慶應義塾大学医学部に進学。大学入学後3年生までは、三田祭実行委員会にて広報宣伝、オリエンテーション実行委員会にて編集長、慶應義塾創立150年記念事業学生委員会にて代表、福沢諭吉記念文明塾ゼロ期に医学部代表の一人として参加など、課外活動に明け暮れる。同時期に、社会の仕組みを知るために個人事業主として大学受験学習支援事業、新卒採用支援事業、学生向け広告代理業を開始し、ビジネスの厳しさと面白さを知る。

2008年、実の祖母祖父が同時期に4名とも要介護になったのをきっかけに、医療介護業界に大きな問題意識を持つ転機となる。東京都中野区の二次救急指定病院にて夜間事務当直のアルバイト経験から医療崩壊の現場を目の当たりにし、一人の医療従事者として医療問題を解決することの限界を痛感する。医療コンサルティング会社の株式会社メディヴァにて半年間インターンシップ経験し、ヘルスケア業界の大きな潜在可能性に気付く。それまでの個人事業によるスモールビジネスから一切撤退し、「理想の医療機関」を立ち上げることを決心する。

2009年、試行錯誤の後、宮城県仙台市に在宅療養支援診療所「ホームクリニックあおば」の開設が実現、立ち上げ事務長に就任。居宅高齢者を始め、有料老人ホームや認知症対応型共同生活介護施設向けに訪問医療を提供し、高齢者医療の必要性と社会的意義を実感する。株式会社ライフケアパートナーズ創業代表取締役、のちに大手医療法人に売却。中国遼寧省大連市に「ホームクリニック大連」設立、のちにアジア系投資会社に売却、アジア発展途上国での医療水準向上のニーズと社会的使命を実感する。2009年、株式会社ブレイクスルーラボラトリーを創業、代表取締役に就任。医師採用支援、医療機関の開業・黒字化・海外進出支援、医師マーケティング支援事業を展開。千葉県柏市、千葉県千葉市、埼玉県上尾市、埼玉県戸田市、東京都板橋区、東京都足立区、東京都大田区等、数々のクリニックの黒字化目標を達成。ドリームゲート主催「大挑戦者祭2010グランプリ」7名のファイナリストに選出、テレビ東京系「ワールドビジネスサテライト」等多数出演。「ヘルスケアの破壊的創造(リクルートの医療情報誌ジャミックジャーナル元編集長らとともに共著)」を出版。

2010年、コンサルティング業を進める傍ら、自営による医療機関展開として、東京都新宿区に在宅療養支援診療所「西新宿五丁目クリニック」を設立、「日本どこでも年を取っても安心に暮らせる社会の実現」を目指して、ジャパンホームケアセンター(2012年医療法人化予定)を設立、事務部長に就任。2011年、東京都豊島区に在宅療養支援診療所「目白二丁目クリニック」を拡大移転、経営企画室長を兼任。2012年医師免許取得見込み。将来のビジョンは「地球上すべての人に健康と安心を提供する」のが夢。今後の目標として、日本とアジアに300拠点を展開するアジアナンバーワンのクリニックグループを目指しつつ、発展途上国向け国民皆保険サービスを提供する国際医療保険会社の立ち上げ、高度先進医療人材を輩出を目指す医学教育研究機関の立ち上げなどを通して、ヘルスケア業界でのイノベータを目指す。