Ryota Aoyama

Tokyo, Japan

ギリシア神話における叙事詩に擬人化された神々は、人間の存在を理想化したものであるとされているが、はたしてそれらは、主体的に神様なのだろうか。
すなわち、叙事詩に著された擬人化された神々は、はたして本当に神様なのだろうか。
これには、二つ考えられるだろう。
一、 ギリシア神話に著された擬人化された神々は、あくまで人間がそれらを通して宗教の客体として人間が作り出した産物となる。
ギリシア神話に著された、医や法の神々から、人間が医や法に立ち向かう神授というのは、神々が人間の産物としたことから矛盾する。但し、そのことからタレスなどのイオニア自然哲学者たちの展開した自然哲学にいたったとも考えられる。すなわち、医や法など自然現象や現象界のあらゆる事象に立ち向かう宗教、人間自ら作り出した擬人化された神々でなく、自ら宗教する、すなわち『汝自身を知る。』ことによって築き上げようとしていったとも考えられる。
二、 彼らは本当に神様。
伊藤塾東京校や中央大学法科大学院などには、正義の女神様テーミスの偶像が置かれている。彼女やギリシア神話に登場する神々様は、人間が宗教に、客体としてそれらを通して宗教に、生み出した産物ではなく、本当にいらっしゃり、人間をして宗教せしめられる。但し、この場合の自然哲学の生成過程は深考しなければならず、わからないことがあります。先に、神話におけるその理解と自然哲学の生成過程の関連性について触れたが、古代ギリシアにおいて先人たちが、医や法などの自然現象に立ち向かうそれらを通して宗教に、古代ギリシア神話において人間の存在を理想化したものとして擬人化された神々をあらわしたとした。そのとき、タレスなどの哲学の祖をはじめとする自然哲学者たちが、擬人化された神々が人間の作り出した産物としての客体であるという矛盾を回避するため、論理として医や法などの自然現象に立ち向かう宗教イオニア自然哲学を生み出したとした。
すなわち、現代でいう医学や数学、そして化学などの自然科学、そして法学や文学そして社会学などの社会科学などに立ち向かう宗教の客体として人間自らが生み出した擬人化した人間の存在を理想化したギリシア神話における神々を通してではなく、論理を用いて自らそれらに立ち向かう宗教しようというのだ。
それこそが論理の始まりであり、勉学、あるいは学問のはじまりなのである万物の根源なのではないだろうか。それでも、伊藤塾東京校に私が参ると、そこには正義の女神様テーミスが、いらっしゃるのです。ところが実際は、私たち人間は存在するのです。
従って、誰にでも言って善いことがある。
故に、性愛である。
よって、自己がある。

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    • United Nations Red Cross, JP
  • Education
    • The University of Tokyo
    • Musashi Senior and Junior High School