Kei Imai
Tokyo, Japan.
1983年 東京都目黒区生まれ
小学2年生からサッカーを始める。中学、高校はサッカー部主将を任される。大学は風間八宏氏(現川崎フロンターレ監督)率いる桐蔭横浜大学へ進学。大学2年の時、長年サッカーで酷使した身体は悲鳴をあげ椎間板ヘルニアの診断を受ける。激痛に耐えられない日々が続き手術するも完治せず、2度目の手術。(1度目はレーザー手術、2度目は内視鏡)痛みは治まったものの術後の体質は変わりなかなか練習でもトップレベルを維持できない状態が続いていた時、自分よりレベルの高い先輩がプロになれず就職活動で苦しむ姿を目の当たりにし将来への不安を感じるようになる。
そのころから大学入学と同時に始めていたサッカーのコーチ業に専念するようになる。
指導者として子供や保護者、サッカーに関わる大人と関わる日々、サッカーの素晴らしさを伝えることの楽しみ以上に子供の教育に関わる大人の問題、環境の問題に頭を悩ませました。子供に判断の機会を奪ってしまう大人、甘やかし過ぎてスポイルしてしまう大人。
この頃から疲れたら一人旅をするようになっていった。有明から船で福岡門司、そこから夜行バスやヒッチハイクで大分湯布院〜鹿児島桜島〜屋久島。旅先で出会った仲間とサッカーしたり酒飲んだり、山登ったりと一人旅の魅力にハマっていきました。
サッカーコーチとして一皮剥けたい、サッカー先進国でサッカーの本質を学んでみたいという想いから中南米〜南米アルゼンチンまでの旅を計画。そして実行したのが2008年。
中南米グアテマラ〜ホンジュラスを周り6ヶ月程経った頃、持病の椎間板ヘルニアの再発で動けなくなる。全てが異なる環境に身体がついていかなかったのか痛みが出始めてからあっという間に動けなくなった。
現地の医療水準は低い為、最良の治療を求め帰国を決意。
帰国後、病院での診断はやはりヘルニアの再発。もう一度手術するのは嫌だった。他に治療の方法はないのかインターネットで探したり、友人に聴いてみたりで様々な治療を受ける。鍼灸、整体、マッサージ。各分野で凄腕と言われる方がいれば片っ端からアポイントをし治療に訪れた。遠いとこでは長野県まで痛みを堪えて長距離ドライブも。しかしながら一瞬痛みはやわらいでも根本的な治療には至らない。
そんな状況で1年が経とうとしていた時に友人に紹介してもらった鍼灸院の院長先生を訪ねる。先生は私にこう言いました。
「人に頼っているうちはいつまで経っても治らないよ」
そして、自分で解決する方法を先生から学んだのです。
呼吸をしっかり行えていない!ということで、呼吸の練習を繰り返し行った結果、みるみる回復し社会復帰できるまでになったのが3ヶ月程経った。
様々な治療を受ける為に莫大なお金をかけた為、手元に残ったお金はほとんど無くなっていました。旅を再開することが出来なかったのです。志半ばではあったものの、親を安心させたい気持ちもあり就職することに決める。
当時26歳、社会人デビュー。通信インフラを支えるブロードバンド事業に携わるようになる。一日中デスクワークでデータ入力や受発注業務。必死に仕事を覚えた1年目、余裕が出てきた2年目は自己の成長や人との出会いを求め積極的��アフター5や休日を人と会ったりスポーツをするようになる。
社会人3年目を迎えた28歳の時、当時住んでいた中野から練馬への引っ越し作業中にまた腰痛再発。この時は痛みを堪えて無理に荷物を運んだりした為にあっという間に動けなくなり病院に運ばれる。やはり診察はヘルニアの再発(涙)
もうしばらく仕事には戻れないなと思う程の症状。
この時、一人の友人が治療師を紹介してくれました。
早速治療して頂くと、驚く程回復しました。そして先生からのアドバイスは「食生活を変えなさい」。
生野菜、生フルーツ中心の生活をして米は控えなさいと。
僕は以前学んだ呼吸の練習と食事を忠実に実行しました。すると1週間後には職場に復帰。
そしてもう二度とヘルニアに悩まされない身体を作ろうと心に誓う。このとき思いついたのがトライアスロンに挑戦すること。過酷なレースに耐えられるだけの身体を手に入れてやろうと!
その後、ランニングを習慣にし、登山へ行ったりフットサルリーグに出てみたり、更にアクティブな生活にシフトしていきました。
2013年10月初のトライアスロンに挑戦し見事溺れてリタイア。苦手なスイムの練習が足りず完走は次回に持ち越しとなる。そして30歳を迎えた今、人生の方向転換をしようと考えている。
もっと自分らしいライフスタイルを手に入れたい。自分らしい在り方で、自分らしい生き方で世の中に貢献したい。人の役に立ちたいという想いが強い。
ここまで生かしてくれた両親に感謝! 私に関わる全ての人に感謝しています! これからも熱い心を持ち続けられるように生きたい!