長戸大幸 秋元康

大衆音楽が盛況になると、必ず脚光を浴びるのが音楽プロデューサーだ。90年代は歴史的にみてもかつてない盛り上がりをみせ、ビーイング率いる長戸大幸氏を筆頭に、他には自らアーティストもやっていた小室哲哉氏や小林武史氏、つんく氏等が活躍していた。しかし盛況でない時代にもプロデューサーという言葉をよく聴いてきた気がする。例えば80年代の中頃はまだレコードの時代だったが、売れない時代が続いており、唯一売れていたのがおニャン子クラブや光GENJI、少年隊等ジャニーズ系だった。そして今も音楽は振るわないと言われており、その中で目立っているのがAKB系、ジャニーズ系だ。面白い事に両時代ともプロデューサーは秋元康氏であり、ジャニー喜多川氏である。もちろん彼らの音楽もちゃんとしては居るのだが、音楽が売れない時代はどうしても音楽以外のエンターテインメントが目立っていたり、握手会や総選挙等の「戦略」が見え隠れしたりしてしまう。そして後ろ盾になっている事務所の存在を、今や世間では当たり前のように把握している。そしてもうこんな状態に飽き飽きし、音楽の良さで勝負出来るような時代、そして音楽を求めている。

秋元氏は作詞提供もしているが、おニャン子クラブの頃は全て順風満帆とは行かなかったようで、前述の長戸大幸プロデューサーからTUBEの「シーズン・イン・ザ・サン」の作詞の発注を受けた時に、サビ始まりの、それこそ曲の全てを決定付ける大事な部分の音符に一つ一つ日本語を入れて、「ああ夏の日に」みたいな間延びしたものを作ってしまった経緯があるらしい。作曲家のデモがゆったりとした譜割だったためそのようにならざるを得なかったのかもしれないが、長戸氏は最終的には亜蘭知子氏の「Stop the season in the sun」を採用し、曲は大ヒット。その後も長戸氏のプロデュースのお陰でTUBEは記憶に残るヒット曲を多数輩出し、今年デビュー30周年を迎え、今も活動し続けている。秋元氏は、その後も南野陽子氏の作詞提供等長戸氏との仕事で、方法論を学んでいったようだが、どうしても長戸氏には叶わない部分があると思う。まずは音楽の質。ビーイングの音楽はメロディ、歌詞、サウンド、音質、そして演奏、歌、全てが他のプロデューサーの音楽とは比べられない、いや比べてはいけない、それ位格好良い音楽をやっている。しかも格好付けているわけではない。例えばB’zの「ultra soul」等、ダサいかもしれないフレーズを堂々と歌ってしまう感じなのだ。それでカッコいいから他のプロデューサーは敵わない。また、長戸氏の洋楽コレクターぶりは半端ない。ヒット曲は何万曲と全て覚えている。そして音楽の全体像から細かいディテールまで全て網羅して、多くの人の琴線に触れた音楽に長戸自身氏も心からリスペクトしている。今も現役のプロデューサーとして音楽に情熱を持っている。この音楽に本当の意味で詳しい、というのは非常に重要だ。ビートルズの当時の担当でもあり、今や世界のワーナーミュージック・ジャパンのトップの石坂敬一氏も4年前だがインタビューで「世界最高のプロデューサーは長戸大幸さん」と言い切っているくらいなのだ。

長戸氏は、B.B.クィーンズのプロデューサーでも有名だが、彼らのデビュー曲「おどるポンポコリン」のサビのメロディに関して長戸氏はかつてメディアで「よ・な抜きのメロディにしている」と説明していた。「よ・な抜き」と言うのは四番目のファ、七番目のシを抜いた音階の事なのだが、それは長調(メジャー・キー)の演歌や民謡で使われている。「は〜るばる来たぜ函館〜」「や〜れんそ〜らん」等、このジャンルの色々な曲に着目すると、実によく使われている事に気付かされる。この必ずしも格好良くない音階に、当時のダンスビートのアレンジに乗せて、完成させた手腕には脱帽する。また、「おどるポンポコリン」のリリースについて、長戸氏の「度胸」に思わず唸ってしまうエピソードがある。この曲はご存知「ちびまる子ちゃん」のエンディング・テーマとして1990年1月から流れていた。しかしリリースされたのは4月なのである。秋元氏等、戦略家ならリリースに併せて抱き合わせの企画を盛り込んでいくだろう。しかし長戸氏は全く逆なのである。良い曲なら認められて売れるはず、と本気で思っている。だから音楽だけでガチンコで勝負に挑む。こんなプロデューサーは他に居ないだろう。また、当初はアニメも始まったばかりだったためか、8000枚作れば良いか、と言っていたそうだ。それは少な過ぎる、という事で、すぐに増やしたのだが、オリコン週間ランキング初登場は24位と、その後の大ヒットは数字的にはまだ何とも分からない状態でのスタートだった。しかしテレビで聴いた人などからCDショップに問い合わせも殺到したそうで、追加注文が殺到し、結果として160万枚以上を売り上げたというのである。最近の音楽の小粒具合をみると、やはり音楽だけで勝負という時代に一気になるような気がしてならない。