Megumi Sato
Sendai-shi, Miyagi, Japan
「地元を活性化する仕事がしたい」 地元気仙沼の活性化に少しでも貢献するように、 東北地域を対象にビジネスを展開する企業に就職 すれば、いつか地元企業に貢献することが できるのではないかと、仙台のIT関連企業に入社。 部署配属後から、システムエンジニアとして、 次第に目の前のことに追われる生活が始まります。 休日出勤することもありましたが、 お給料、ボーナスも安定して支給されます。 しかし、実際に自分が担当するお客様は 親会社ばかり。 仕事に追われ忙しい毎日を繰り返しているうちに 「地元を活性化する仕事がしたい」 そういう思いを持って入社したことも、 忘れかけていました。 同じお客様を担当して5年目、 このまま同じお客様を担当していて、 「この業界で生き残られるのか?」 「もっと楽しさを感じられる仕事には 出会えないのか」 いつしか不安に襲われるようになりました。 他のお客様を担当したいと希望はしていても、 早々には変わることはありません。 どうすれば自分の不安を払拭できるのか 悩んでいた時、東北地域の開発者向けの コミュニティの存在を知りました。 そのコミュニティでは、 会社以外の会社に勤めている開発者の方、 開発者として独立している方、 IT企業を経営している方、 ITのコンサルティングをしている方、 Webのデザインをやっている方など、 多くの方々と知りあい自分の考え方が 広がりました。 「業界で生き残るために必要なことは何か?」 「もっと楽しく仕事をするためには どうするのか?」 を考えるようになり、必要だと思ったこと、 自分が面白そうだと思ったことを、 イベントや勉強会へ学びに行くようになりました。 仙台だけではなく、時には東京のイベントや 勉強会にも参加するようになりました。 そして、イベントや勉強会で得た知識を元に、 「もっと楽しく仕事をするためにどうするか?」 を職場で実践していきたいと思うように なりました。 当時、社内でメンバーの募集がされた ダイバーシティマネジメント推進ワークグループ。 このグループに参加し、活動することで、 個人の強みや価値観が尊重され、 社内環境がより働きやすいものに変わり、 個人が活かされる形になり、 それが会社の業績アップに繋がればと思い、 グループの活動に参加することにしました。 ただし、この活動を推進して行くにあたり、 社員の方々の協力は必須でした。 しかし、施策を企画しても、 なかなか社員の協力が得られないため、 一部の社員にしか届かず、 社員は元気がないままの人がほとんどでした。 「自分が働く会社のことなのに、どうしてこんなに 無関心なのだろう」 当時700名弱の会社でしたが、 顔と名前が一致する人は限られていて、 顔の見えない相手に対してアプローチを していくことは、当時の私にとって、 かなりの時間を要する活動に思われました。 「このまま継続して続けても どのぐらいかかるかわからない」 「自分にとってこの会社は大き過ぎる」 今思えば、当時の自分の力量不足ゆえの 結果ですが、このまま会社で働き続けることを 選択するのかどうか、考えるようになりました。 そして、このまま会社に居続けられた時の 10年後のイメージをした時、はたと思ったのです。 「この10年後の自分の人生は 自分が手にしたい人生ではない」 私はこの時決めました。 「1年後、会社を辞める時までに、 何で社会に価値を提供していくのかを見つける」 しかし、当時の私ができることといえば、 システム開発に関わる仕事のみだったため、 自分がやりたいコトを探すようになりました。 とは言っても、 何をすれば見つかるのかわからないまま、 目の前の仕事をこなしていく日々が続き、 そんなにすぐは見つからないだろうと 思っていた時、 自分の生き方を加速させる出来事が起きました。 2011年3月11日、東日本大震災。 私はあの時、会社がある18階建てのビルの17階、 自分の席で仕事をしていました。 免震構造のビルだったせいもあり、 かなり大きな揺れを体に感じ、 このまま死ぬんじゃないかという恐怖、 そして、気仙沼にいる家族・親戚・友人のことを 思いました。 小さい頃から地震が来たら津波が来る。 だから、津波から逃げるために高台に逃げろと 教えられて育ってきました。 そのため、大きな揺れを感じた瞬間、 気仙沼は津波で大きな被害を受けると 直感しました。 家族が心配になりましたが、家族との連絡は 諦めました。 電話が繋がるとは思ってはいませんでしたし、 何よりそれによって避難が遅れたらいけないと 思ったからです。 停電になったビルで、 先輩が持っていたワンセグで確認した映像。 気仙沼の港が大量の真っ黒な海水に 飲み込まれていく様子、 私が予想した津波の大きさをはるかに 超えていました。 海岸沿いに会社がある両親、海の目の前に 家がある祖母と叔父伯母夫婦のことを思うと、 何もできない自分の無力感と焦りと心配で、 気がおかしくなりそうでした。 その時、私を支えた唯一の希望は、 「気仙沼の人は地震来たら津波の意識が高いから、 絶対逃げてる、絶対みんな助かってる」 「みんな無事、絶対助かってる、大丈夫」 それを何度も何度も頭の中で繰り返すことで、 平常心を保つことを心がけました。 帰宅規制が解除されても、 会社に残ることにしました。 一人で家に居るよりも、 会社に残ることで会社の人と過ごし、 それで自分の気を保とうとしたのです。 夜になり非常電源の明かりがついている会議室。 いくつかの部屋にわかれて泊まることになりました。 私と同室になったのは、 同期入社の女性4名。 情報が欲しかったため、ワンセグを借りて、 ニュースの映像を見ていました。 私はあの時の瞬間を忘れることはありません。 ワンセグの小さな画面に映る映像は、 暗闇の中の火の海。 画面右下には”気仙沼市上空”と書かれていました。 私はその映像を瞬間的には信じられず、 画面を二度見しました。 そして、小さな音で聞こえてくるアナウンス。 「私は今ヘリで気仙沼市上空に来ています」 暗闇のためどこが燃えているのか わかりませんでしたが、 この瞬間家族も親戚もみんな死んでしまったと、 その時までに信じていた希望が一瞬のうちに 打ち消されパニックになりました。 一緒に居てくれた同期の女性たちのおかげで、 パニックは少しの間で済みましたが、 あの時の記憶は私の心の中に強く深く残っています。 それから3日間母とは連絡がつきませんでしたが、 その後、両親、親戚が無事であることは 確認できました。 ただ一人、伯母を除いては。 地震直後、従姉妹は伯母と連絡を 取っていたそうです。 津波が来るから逃げてって話をしたのに、 遺体は自宅近くの瓦礫の下から見つかったのです。 復旧作業が進んでいくうちに、 テレビやネットを通じていろんな情報が 入ってきます。 間一髪奇跡的に助かった人の話、 残念ながら帰らぬ人となってしまった話、 行方不明で遺体さえ見つかっていない話など、 そして、伯母は逃げられたはずなのに、 どうして亡くなってしまったんだと。 考えてもわかることではありませんが、 一つだけ確実なことがあります。 「人はいつ何で死ぬかわからない」 復旧作業が進んでも気仙沼に帰ることが できないでいました。 住み慣れた土地が津波によって何もかもが 破壊され流された光景を目の当たりにすることが 怖かったからです。 なんとか自分の気持ちの整理もついた ゴールデンウィーク、気仙沼に 帰ることにしました。 実家に帰ると、父、母、 祖母、伯父伯母が迎えてくれました。 祖母たちの家は津波で流されたため、 実家に身を寄せていたのです。 あの日のことを話す母や伯母を見ていて、 大変な経験をしたのに前と変わりない笑顔と 優しさに地元の人の強さを垣間見ました。 父の車に乗り、市内と祖母の家があったところ、 海岸沿いを北上し、陸前高田、大船渡、釜石まで 行きました。 見慣れた場所のはずなのに、 自分が今どこにいるのかわからない、何もない風景。 地盤沈下によって、海水面に沈んでいる地面。 津波の大きさを物語る、高い木の枝に引っかかった、 小さなウキ。 言葉が見つからない。 本当になんて表現したらいいのか、 自分が何を言いたいのか、口から何も出てきません。 そして思ったのは、 「新しい東北を作るために役に立ちたい」と そこから探し始めて偶然出逢ったのが コーチングでした。 私が学んだのは、 世界No1コーチ ピークパフォーマーの アンソニー・ロビンズのコーチングメソッド。 結果や行動の原動力となる感情を一瞬で変え、 日々充実感を感じながら更に成長のために 理想的な状態で望む結果を得られるようになります。 人が自覚しにくい無意識の障害を取り除くことにより 知識や能力をつけても乗り越えられなかった障害を 無意識で乗り越えられるようになります。 相手の可能性を120%引き出せるようになる卓越された スキルによって、望む結果を手にすることができます。 このコーチングメソッドにより、 かつてはネガティブで自己評価の低かった私も いつでも意味づけを変えることができ、 自分に自信をもって行動できるようになりました。 また、コーチングセミナーを通して、 一緒に学んでいる仲間の変化・成長を見た時に、 とても幸せを感じている自分に気がつきました。 そしていつしか、 「ワクワクいきいき最高の笑顔でいっぱいの 元気な大人を増やしたい」 と思うようになりました。 そして、その夢は自分の想像をはるかに超えて 早い段階で実現することになりました。 仙台では開催されていなかったコーチング講座が、 2012年1月から仙台でも開催が決定し、 ボランティアスタッフとして、 その運営をやることになったのです。 と同時に、プロコーチとして本格的に活動を し始めたいと思い、会社も統合によりさらに 大きな会社になるということで、 2012年3月で退職しました。 「会社辞めるのは簡単、 でも自分で稼ぐのは簡単ではない」 当時、私はどのように自分を売っていけばいいのか、 どうやってお客様を見つければいいのか、 わかっていませんでした。 開発者のコミュニティに所属していた経験で、 セミナーを開催する手順はわかるものの、 参加して欲しい人数を確実に集める方法や、 どのようにセールスレターを書けば、 お客様の心に響くのかもわかりませんでした。 仙台で開催しているコーチング講座への集客も 次第に苦しくなり、 コーチングと言うだけでは、 お客様には伝わらないということを 深く思い知ることとなりました。 結果、スキルはあるのに、お客様に届けることが できないという状況に陥りました。 そんな状況の中、 一緒に仙台でコーチング講座を手伝っている仲間から、ある方を紹介されることになります。 それは、日本のUSPの第一人者である鉾立由紀さんとの出会いでした。 USP(Unique Selling Proposition)とは マーケティング用語で、日本語でいうと 「独自の強み」です。 鉾立さんは更に磨き上げ、 USPとは「お客様との究極のコミットメント」 USPは他者との明確な違いを生み出し、 無条件で理想とするお客様から選ばれる 最強の武器である。 と提唱していました。 そして、自分独自の強みで起業する人たちを 1000人生み出したいというのです。 なぜならば、彼女には強い思いがあります。 それは故郷である鹿児島への思いです。 鹿児島は沖縄に続き県民所得が少なく、 失業率も沖縄に次いで高く、 有効求人倍率は日本トップレベルの低さ。 そんな鹿児島をなんとかしたいという 強い思いがあります。 その強い思いに強く共感しました。 今、私は鉾立さんからその頭脳を伝承し、 仙台・東北で自分の足で立っていく起業家を 1000人作るという思いで動いています。 仙台・東北に足をつけて、 自分の好きなコトで仙台・東北を