tatsuya ohya

国の特定疾患ライソゾーム病に属する先天性の病気を持ちながらも気がつけば40半ばを過ぎゆく。。この病気で40を過ぎるなんて言うのは奇跡なので、今生きてられるのは儲け物と思うようにしています。 これから先の奇跡の時間に何を残していけるかが努力の毎日。 自分という人間は 松葉杖を使い3〜4本足で歩き、調子がよい時は杖を担いで走ります。(杖の意味がなか) 身体障害者手帳は体幹機能障害3級を受けています。(軽度な障害ではないです。ちなみに体重を基準にしていません。) 酵素物質の先天的欠如により、骨の新陳代謝に異常を来しています。そのため、頭から足の先まで全ての骨が変形しています。 特に頸椎部の変形には注意を払っています。重いものを持たぬようにしています。(首からした全てが完全麻痺してしまうため。) 体中の全ての関節に置いて変形があります。そして、各関節は常に熱っぽい状態が24時間続いています。ペンを持つ事、コップをつかむ事が自由に出来ない時が時々あります。 さて、体幹障害を抱えつつも、さらに別の種類の障害の聾唖の妻と暮らしています。(毎日が異文化交流の日です) 家では聾者のごとく手話で生活をする毎日。 我が家は身体障害と聴覚障害に実生活レベルでとても詳しいと思っています。 ところで、 6年前、妻が交通事故の被害に遭いまして(相手は県内最大手の愛〇葬祭さん)、上半身に後遺症が残ったときには「手話を使っているのだから、単なる手のけがだけでは済まない大きな問題。」として事故の相手(実際には損保・東京日動海上)と実に深い議論を繰り返しましたが「障碍者がごねている。」と、程度の低い理解をされてしまった。損保の顧問弁護士と面談した際は「手話が使い難くなった事を詳しく説明できるんですか?どうせできないでしょうね。」とニヤにやした表情をしたため、、、このとき自分の本気スイッチが入る!そこから訴訟を起こしネットを駆使して専門家を捜し出し、前例のない程までに精査した詳細な証拠を裁判所に提出、これを裁判所がが採用。日本で初めてとなる判決を勝ち取り、これが海外にまで報道されました。もしかしたら世界で初めての裁判所の判断であったかもしれない。 全日本聾唖連盟はもちろん、世界聾唖連盟にまで知れ渡る。 聾者の問題でありながらも、そのニュースは全国の隅々までラジオでも報道された。名古屋地方裁判所記者クラブにお集まりいただいた各メディアの報道記者の皆様のご協力には心中より感謝申し上げます。 さて、 2011年現在、厚生労働省配下で、障害者基本法に関連する法案として手話を言語としての法的根拠を作るべく日本財団の後押しによって専門家によって準備がされているもようです。2011年2月この準備に関連して、再び新聞の取材を受け全国紙に掲載されました。この動きが実ります事を願ってやみません。 話しは元に戻りますが、 損保(東京海上日動)は、聾者が使う手話ということばを、裁判が終わるまで整形外科の怪我の観点だけでしか考えない人として冷たい心で接し続けました。損保は表向きイメージアップを図って期待を持たせますが、現実は「要するに金」という言葉がピッタリ。全ての損保が同じ事をするはずです。 そのため、心療内科で長期間お世話にならなければならないほど深刻な状態が続いています。 他人の身体障害につけ込んで屁理屈をこねまくった損保の悪質さをこれでもかというほど思い知らされた悪夢の6年間でした。 逆にその経験により、自分には怖いものがなくなったように思います。 しかしなぜ、交通事故被害者は、身体を大けがした上に、損保(東京海上日動)に苦しめられなければならないのでしょうか。 どうして2重に苦しめられなければならないのでしょうか。 なぜけがに付け入るな非常識なことをし繰り返し続けるのでしょうか。被害者が値を上げるまで徹底的に嫌がらせをして、賠償を逃れようとしているのでしょうか。もし交通事故の被害にあったら、あなたにも損保の本当の恐ろしさがわかります。 あ、さて、 さささて、、 本人は、 普通の小学校に6年。中学(富中)に入り半年。。。体力の限界に体が付いていけなくなり、その後半年以上を休む。担当教師に登校拒否扱いされ理解がないと二度とその学校に通おうとはしなかった。 その後、青い鳥学園と言う寮育施設に数年間。 さらに、養護学校の寄宿舎に数年間。 そして、養護学校の高等部を卒業しデンソーの特例子会社の社会福祉工場で3年。 その後ソフトハウスに転職し富士通ディーラーや富士通へ出向する。 その後2010年9月までの20年間、名古屋近辺の卸売市場を主な顧客として松葉杖を含めた4本足で東奔西走。 1999年頃からは勤務先とは別に在宅就業支援を行うNPO団体に所属して活動をおこなう。このNPOに所属してから、人間関係・人脈がぐっと広がった。 ところが、 2010年10月起業者が体調不良により会社を閉鎖したため、後の事、多くのお客樣が困る事を憂慮し起業。 独立して3ヶ月目の出来事。 2010年12月人生を教えてくれた父逝く。享年74。事務所を見に来た時の一言は「まだ、な〜んもねえな。」 で、現在、聾者の妻と夫唱婦随で事務所で仕事をしています。 自分は体幹機能や体中の間接の変形によって熱を持ってしまい体力の限界がすぐに来てしまうので、一日8時間働き続けるととても体力が持ちません。午前中は内蔵の調子が上がらず、体調を整える事に専念。実際の仕事は昼前後からやっています。 仕事に手を抜かず、できるだけ働く時間を長くしないようにして体力を意識しながらの毎日です。 自分の体がついていけず、翌日に回す仕事が多いのはやむを得ない事実です。 しかし、お客様にこの状況を強いるつもりはありません。 ☆☆☆☆☆ ※2011年2月20日 みたらし団子を食べているときに、団子を吸い込んでしまい喉が詰まる。 お茶を飲んで押し流そうとするが、押し流せない。 団子を吐き出そうとしても、動かす事が出来ない。 「あかんかも・・・・」と本気で思った。 そのうち酸欠で少し目の前が暗くなった。 どうせあかんでもええから、悪あがきでええから、体を動かそうと思って、、、、とにかくお茶を吐き出そうとして立ち上がった所、ポンッと団子が口から勢いよく出て来て、事なきを得る。 あ〜〜、まだ生きてるっ! 2011年4月。思った以上に忙しい状態であり、最新技術とデバイスとを組み合わせて、どこにいても複数の場所にあるお客様のコンピュータを同時に面倒見られるようにして、一人で出来ない限界をほんの少し乗り越える事に成功した。 2011年9月、自分という人間を生んだ、母が胃腸のせいで時間外診療を毎日繰り返す。長期になる模様。 2012年1月5日 数々のソフトウェアをただで導入するという法に抵触する行為を行よう恫喝・脅迫した北部場協会との契約を解消。 法に抵触する考え方をする非常識な事業者との取引は行わない。(今後も酷いときには告発をしていく方針)事務局長以下3人のスタッフは全く反省の色がない。人としての資質がかけていると疑われても最早おかしくないレベル。 精神的に落ち着く日々を送れるようになり、毎日、夜眠れる日が多くなる。 2012年3月下旬 ある自治体の打ち合わせで両脇にたくさんの資料(ファイル等)をめいっぱい抱えた状態で事務所の金属製階段23段を登り切る一段手前で手を滑らかし、一番上から背中越しに頭から下へ真っ逆さまに転落する。 この時、左側頭部を強打し重症。血まみれとなる。しかし下半身のために松葉杖を使っている両腕と下半身には奇跡的に怪我がなかった。 左側頭部は普段の2倍近くに腫れ上がったが、何とか一晩で職場復帰を果たす事が出来た。 以来、時々バランスを崩してしまう現象が多々起きているが、本人は大して気にしていない。